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絶望からの復活 「7本指」のピアニスト - 西川悟平氏(44歳)- 西川悟平さんは大阪堺市の中学の時ピアノを始めた。先輩のピアノを弾く姿に憧れのことだった。音符は音楽大学受験の3年前から勉強した。超スロースターターだったため、人の倍練習をしようと思い、防音設備のない環境で、ピアノに布団をまいて、毎日5〜12時間練習した。しかし、大阪音大短期大学ピアノ科卒業後に就職できたのは和菓子屋さんでした。 転機が訪れたのは1999年(22歳)。調律師の紹介でニューヨーク出身のプロピアニストのディヴィッド・ブラッドショー氏に出会います。ブラッドショー氏は自分のリサイタルの前座を西川氏に任せてくれました。そして、西川氏に「君が一番したいことは何?」と聞いてきました。口ごもる西川氏に何度も聞き返しました。最後に西川氏は「本当はピアノがしたい」と打ち明けました。 「粗削りだが、味がある演奏だ」と感じていたブラッドショー氏は、西川氏を弟子にして3か月間、ニュージャージー州の豪邸で自由にピアノの練習を出来る環境を与えてくれました。 ブラッドショー氏の見込み通り、西川氏は新天地で活躍します。ニューヨークのリンカーンセンターやカーネギーホールで弾けば大きな拍手に包まれ幸せを感じていました。 ニューヨークに渡って約1年後の2001年、指が丸まって動かなくなる難病「ジストニア」になりました。筋肉の硬直で割りばしが折れる程なり、「一生、ピアノは弾けない」と言われました。折角掴んだピアノ演奏のプロになる事が打ち砕かれました。 数々の治療を試みました。苦難の中、奇跡的に7本の指が動くようになり(右手5本と左手、親指・人差し指)なりました。それから7年程猛特訓をして7本指で演奏披露出来るようになりました。病気になってからは1本1本の指に話しかけながら、さすりながらリハビリをし、ピアノの練習をしました。 通常、10本で弾く曲を7本で弾くわけですから、滑らかな演奏にならないと思うのですが、腕を交差させながら、ペダルをうまく使って流れるようなピアノ演奏が出来るのです。 7本指のピアノ演奏者になってからは、10本指では演奏できなかった有名ホールからも招待される様になりました。病気に感謝している今日です。指1本1本に感謝し、鍵盤に感謝しながら演奏は10本指の時よりも魅力的なようです。2020東京パラリンピックでは締めの演奏を披露しました。 『神様は、氏子を救い助けてやろうとこそ思うてござれ、このほかには何もないのじゃから、氏子の身の上にけっして無駄事(むだこと)はなされはせぬぞ。 ご信心しておるがよい。みな末のおかげになるぞ』 - 金光教教典 p812−12 - |
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